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徳島地方裁判所 昭和34年(ワ)380号 判決

原告 乾道一 外四名

被告 国 徳島県

訴訟代理人 杉浦栄一 外四名

主文

一、被告等は各自

原告乾道一に対し金二、四四五、〇三五円・原告乾清美に対し金九八七、二七六円・原告乾ヒサヲに対し金三一四、五〇〇円および右各金員に対する昭和三四年一〇月一日から支払済に至るまで年五分の各割合による金員を、原告川口士朗に対し金二、四六五、三七九円・原告川口政子に対し金一、四〇七、六九〇円および右各金員に対する昭和三五年五月一七日から支払済に至るまで年五分の各割合による金員を、それぞれ支払え。

二、原告等のその余の請求をいずれも棄却する。

三、訴訟費用は、原告乾道一・同乾清美・同乾ヒサヲと被告等との間ではこれを一〇分し、その六を被告等の、その四を同原告等の各負担とし、原告川口士朗・同川口政子と被告等との間ではこれを一〇分し、その七を同原告等の、その三を被告等の各負担とする。

四、この判決は、原告乾道一において金八〇万円・原告乾清美において金三〇万円・原告乾ヒサヲにおいて金一〇万円・原告川口士朗において金八〇万円・原告川口政子において金四五万円の各担保を供するときは、第一項に限り仮りに執行することができる。

事実

(双方の申立)

一、原告等の申立

被告等は連帯して、原告乾道一に対して金二、八〇四、九九九円、原告乾清美に対して金二、五〇一、〇八〇円、原告乾ヒサヲに対して金五九万円、およびこれらに対する昭和三四年一〇月一日から支払済に至るまで年五分の各割合による金員を、原告川口士郎に対して金六七〇万円、原告川口政子に対して金四〇〇万円、およびこれに対する昭和三五年五月一七日から支払済に至るまで年五分の各割合による金員を、それぞれ支払え。

訴訟費用は被告等の負担とする。

との判決並びに原告川口両名は仮執行の宣言を、原告乾三名は担保を条件とする仮執行の宣言を求めた。

二、被告等の申立

原告等の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

との判決を求め、かつ被告国は、原告等の仮執行宣言の申立は被告国に対しては適当でないと述べ、仮定的に仮執行免脱の宣言を求めた。

(請求の原因)

一、原告乾道一は、訴外三陽産業株式会社が原告乾ヒサヲから賃借していた貨物自動車徳二〇六〇号に木材を積載してこれを運転し、昭和三四年五月八日午後二時頃、高知-木頭-徳島間を結ぶ二級国道を阿南市方向に向けて進み、徳島県那賀郡木頭村北川字陰一一の一地先の、南方が山・北方が那賀川に面する所にさしかかつたところ、突然道路がわずか二尺余りを残して崩壊したため、右貨物自動車は道路の土及び石垣の右と共に路面から約三〇メートルの那賀川の川床に転落し、これを運転していた原告乾道一およびこれに同乗していた自動車助手の原告乾清美は後記の如き傷害を受け、又同乗の訴外川口正は重傷を受けて直ちに香川労災病院平谷診療所で医師の治療を受けたが、同月一九日死亡するに至るという事故が発生した。

二、右道路は、二級国道として被告国が管理し、被告県がその管理の費用を負担する営造物であるが、本件事故は、つぎにのべる如く、右道路の設置・管理の瑕疵に基くものである。

(一)  本件事故現場の右道路および石垣は、長さ約九メートル幅広いところで約三メートルに亘つて崩壊し、その崩壊部分は道路の七・八割の幅に及んでいるが、貨物自動車の通常の通行によつてかかる広範囲に亘つて道路が崩壊するということは、右道路の路肩部分のみならず基礎部分の設置又は管理につき重大な瑕疵があつたと推認することができること。

(二)  右道路がもしも危険な状態にあるならば、重量制限をしたり危険標識を設置する等して、危険防止の措置をとらなければならないのに、被告等は、右部分に数本の棧敷を置いたのみで安全性の調査もせず、かつ本件事故当時はもとよりその以前においても何等危険の防止に必要な措置をとらなかつたこと。

三、本件事故によつて、原告等の蒙つた損害およびその額は、つぎのとおりである〈省略〉。

(請求原因に対する被告等の答弁)

請求原因第一項の事実のうち、原告乾道一がその主張の日時に貨物自動車徳二〇六〇号に木材を積載してこれを運転し、その主張の場所を進行中、本件事故現場において右自動車が那賀川の川床に転落したこと、右事故により、これに同乗していた訴外川口正が死亡するに至つたこと、同第二項の事実のうち、本件道路が二級国道であつて被告国がこれを管理し、被告県がその管理の費用を負担していること、はいずれも認める。同第三項の事実のうち、訴外亡川口正と原告川口士朗・原告川口政子との身分関係は不知、その余の請求原因事実はすべて否認する。

(被告国の主張)

一、本件事故は、道路の設置・管理の瑕疵に基く道路の崩壊に起因するものではなく、原告乾道一の自動車運転上の過失に起因するものである。

(一)  被告等の本件道路の設置・管理については、何等の瑕疵もない。

(1)  本件事故現場を通じる道路は、昭和一九年頃林道として開設され、その後同路線が高知県と徳島県とを通じる最短距離に当り、しかも、将来四国の山林資原を開発して産業興隆の促進を図るための必要路線となることが認識された結果、ようやく昭和二八年五月、政令第九六号により路線番号一九五号・二級国道高知木頭徳島線(起点高知市・終点徳島市で、県境をはさむ十数キロの間は現在なお未開通である。)として認定されたものである。

ところで、一般に道路の機能は、その路線の性格、その区間の交通状況により決定され、かつ該道路の構造はその機能に応じて相対的に決められるべきであるところ、林道として開設された本件道路は、その設置目的に従う諸条件に応じて全延長に亘り幅員三メートル(路肩部分を含む)、この区間内の十数ケ所の石垣はすべて空積法により建設・設置されたのである。以来、本件事故発生に至るまで、崩壊した本件道路の石垣を含め、本件道路の全区間について改良工事は行われることなく一五年余を経過したが、この間、通行車輌は昭和三〇年頃からは大半が大型トラツク車に変化し、これにともなう積載荷重の倍加・車輪幅の拡大・および走行車の激増等による路面の損傷がひどくなる等、設置当時とは道路に関する社会的諸条件が全く変化したにもかかわらず、よくその機能を果してきたのであつて、このことは、本件道路ないし石垣が設置の当初において安全な状態で建設されたことを表わすものであり、設置に瑕疵は存しなかつたものというべきである。

又、徳島県知事は、本件道路を国の機関委任事務として管理していたものであつて(道路法一四条・地方自治法一四八条二項の別表第三・一一五参照)、同県阿南土木出張所平谷詰所をして本件道路を含む同詰所管轄の上那賀町・木沢村・木頭村の区域内にある道路の維持・修繕・災害復旧その他の管理業務を所管実施させ、本件事故発生当時、右詰所には主任以下技術職員九名と道路工手七名が配置され、所管業務の遂行に万全を期していたところ、同詰所主任は、毎月一回全職員と工手を詰所事務所に召集して各自の担当業務の現況報告をさせ、かつ道路の安全性確保等のため必要事項について指示を与える等のほか、月間三回、区域内の全路線を巡視して道路が安全良好な状態に保たれているかどうかを調査し、そのおり各現場で業務に従事している職員・工手に対して指揮監督を為していたが、本件事故現場の道路・石垣についても、事故発生時の前月末頃、主任藤蜂宣昭は当該ケ所を視察してその現況をつぶさに調査し、何らの危険のおそれのないことを確認し、又道路工手はつるはし、くわ等の用具を携行して毎日受持区域内の道路を巡回して補修を為するとともに、危険ケ所や工手自身では修繕不可能と認められるケ所を発見した場合には直ちに右詰所に報告して指示を求める等の業務に従事しているものであるが、本件道路については、昭和三一年以降、木頭村折宇(事故現場より下へ約三・八キロ)-干本谷口(事故現場より上へ約二〇〇メートル。ここから奥は林道である。)の間四キロを、工手富田祐一が受持区域として担当していたものであつて、同人が事故の二日前に事故現場を見廻り、その時は道路・石垣に何等の異状を認めなかつたものであり、さらに、事故現場を前日に大型トラツク一〇台・当日に一台通過したこと、並びに原告乾道一も当日の朝右事故現場をトラツクを運転して往復しているのであるから、本件道路ないし石垣は本件事故によつて崩壊する直前までは良好の状態で安全性が確保されていたものというべきであり、これが管理につき瑕疵があつたものとは考えられない。

なお、事故現場の那賀川寄りの道路端から内側約五〇センチの所に道路に並行して棧敷(末口五寸、二間もののモミ二本・杉一本を八番線針金で三ケ所結んだもの。)を附設してあつたが、これは、トラツクの車輪でその路面が損傷することを防ぎ、路面に対する加重を分散平均せしめてこれが補強をし、車の運行を良くする目的で工手の富田祐一が昭和三一年に施工したものであつて、この棧敷があるからといつて当該ケ所が危険状態にあるということはできないし、本件事故に際しても右棧敷は折れていないのである。

(2)  なるほど本件事故現場は、原告等が指摘する如く、路肩が軟弱であつたり、棧敷を敷設する等の欠陥を有していたことは、被告においても認めるところであるが、このことから直ちに道路の設置・管理に瑕疵があるということは、はなはだ飛躍した主張である。

原告等は、道路自体の瑕疵と道路の設置・管理の瑕疵とを混同しているが、右は区別されるべきであつて、本件の場合、路盤が軟弱であつた等道路自体に瑕疵があつたからと云つて、直ちに設置管理に瑕疵があるとは云いえないのであり、この点は別個な要件として検討されなくてはならないのである。

ところで本件の場合は、前述のとおり、事故現場には棧敷を敷設して補強されており、路肩も重量車の如何なる通行にも耐えうるほど堅固なものでなかつたと認められるから、道路自体にはあるいは欠陥があつたといいうる余地があるかもしれない。しかし、道路は、その場所の通路として予定ないし予期された性質をもたない場合に瑕疵があるのであつて、欠陥があれば直ちに瑕疵があるのではないのであつて、このことを本件道路について云えば、前述の如く、本件道路は昭和一九年頃林道として開設されたものであるが、その後交通事情・車輌構造等の変遷から、設置当時では想像しえない負担がかけられるに至つたが、本件道路の重要性から閉鎖等の措置をとることができないのであつて、現在のような大型トラツクの頻繁な交通を完全無欠に受けうる状況にある道路ではないのである。このことは、徳島県又は四国の山間部に通ずる道路のすべでについていいうることであつて、本件道路を通過する自動車運転手のすべてが熟知しているところでもあるから、その点からすれば、本件道路自体には「予定ないし予期された性質をもたない」瑕疵は存しなかつたといいうるであろう。

仮りに、右欠陥をもつて本件道路自体に瑕疵が存したとしても、右瑕疵は棧敷を敷設したことによつて除かれたとみるべきであつて、反面、道路に棧敷を敷設したことによつてその管理者の責任も果されたというべきである。

(二)  本件事故は、原告乾道一の自動車運転上の過失に起因するものである。

即ち、原告乾道一は、平素交通法規を遵守していたものとはいいがたく、昭和二五年から同三四年四月までの間に、道路交通法規違反事件で一一回処罰されているのみならず、本件事故現場を通過するに当つては、路面に補強のため附設されていた棧敷があることを知つていたし、当日は雨が降つており車の前ガラスが雨水にぬれて視界が悪い状況にあり、又、本件事故現場の道路の有効幅員が二・二ないし二・九メートル程度であるのに対し同人運転の自動車の車体幅員が二・三四メートル・車輪全幅が二・二〇メートルであるから、右自動車の車輪幅と道路幅とがほとんど同じで全く余裕のない状態にあり、かつ右現場附近は一方が十数メートルの崖であり他方は山がおおいかぶさるようにして迫つている危険な場所であるにもかかわらず、定員超過の四名が乗車し、積荷もやや制限重量を超過していたのであるから、自動車運転手としては危険をさけるため同乗者を降ろして、山寄りに減速して徐行通過する等の適当な措置を講じ、道路端から〇・五二メートルの所に敷設された棧敷上に左車輪を通過させるべきであるのに、運転を誤まつて棧敷の外側である路肩(路肩は車道ではなく、通行を禁ぜられていることは車輌制限令二条五号・一〇条、道路構造令二条二号によつて明らかである。)上に車輪をはみ出して通過しようとし(左車輪が棧敷の内側を通過することは自動車の車輪全幅と道路の幅員との関係上不可能である)、さらに、同ケ所がゆるい上り勾配になつているところから、ギヤを切りかえて速度を増したため、後部外側車輪が路肩上もしくは路肩の外にはみだすに至つたため、荷重が一度にこの部分にかかる結果となり、雨水がしみこんで軟弱となつていた路肩を破壊し、空積みの石垣に衝撃と重圧を加えて石垣を崩壊せしめるに至つたものであつて、本件事故は、原告乾道一が運転手として当然なすべき注意義務に違背した過失の結果生じたものと云わざるをえない。

(三)(1)  原告等は、本件事故現場の崩壊ケ所が道路の七・八割の幅に及んでいる点からみれば、本件道路の路肩部分のみならず道路の基礎部分にも重大な瑕疵があつたと推認することができると主張するが、仮りに、道路が七・八割の幅に及んで崩壊したとしても(右事実は被告の争うところであるが)、崩壊ケ所が路肩部分のみでないから道路の基盤部分にも瑕疵があつたと推認することは、転落した自動車および積荷の重量や本件事故現場の地形および空石積みの石垣の性質等を無視したもので、単なる想像に出たものと云わざるをえない。本件事故現場のように空石積みの工法で積み上げられていた石垣は、路肩が破壊され空石積みの石垣が崩壊すれば、車輌や積荷の重量によつて、路肩部分ばかりでなく、それに接続する基盤部分にも衝撃と重圧が及び、その部分の崩壊も惹起することは、経験則上当然に推則しうるところである。

(2)  つぎに原告等は、原告乾道一運転の自動車が、棧敷の外側(那賀川寄り)を通過したとの被告等の主張は証拠上認められないと主張するが、同原告が路肩部分を通過したことは、つぎの諸事実から認めることができる。

(イ) 本件事故現場の山側にある「水切り」の部分を、同原告が右車輪を通過させたとの主張は、山側岩壁が追つていて不可能に近いこと、

(ロ) 仮りに、「水切り」の部分の上を通つたとすれば、本件道路の幅員と、前記自動車の車輪全幅からみて、同原告の車の右後車輪が水切りの上を通りかつ左後車輪が棧敷上を通ることはありえないこと、

(ハ) 左後車輪が棧敷上を通つたかどうかは非常にあいまいであること

(ニ) 右自動車が棧敷の内側を通ることが棧敷の位置と車輪幅との関係から不可能と認められること、

(ホ) 左後車輪が棧敷上を通過しておれば、棧敷三本がいずれも長さ四メートルのものであり、転落後折損もなく針金でしばられたままであつたと認められるから、時速約二〇キロで進行している同車が右後車輪から転落することははなはだ疑わしいこと、以上の事実からすれば、本件事故は、原告乾道一が運転を誤つて左後車輪が路肩上を通過しようとした際、同所が登り坂であつたため、ギヤを切りかえて馬力を増そうとして軟弱な路肩部分を左後車輪で掘り下げたため、路肩を破壊し、石垣を崩し、転落する車輌と積荷の重量によつて路肩部分以外の基盤部分をも崩壊させたものであると断ぜざるをえない。

二、仮りに、本件道路の設置・管理に瑕疵があつたとしても、右のように、本件事故は、原告乾道一が自動車運転者として当然に為すべき注意義務に違反した結果生じたものであるから、被害者側の過失とて、原告等の損害額を算定するに当つては充分にこれを斟酌すべきである。

(被告県の主張)

一、本件道路には、その設置・管理上の瑕疵は存しない。

(一)  本件道路は、昭和一九年頃、林道として全延長に亘り幅員三メートル(路肩を含む)とし、この区間内の十数ケ所に空積法による石垣を設置する方式により設置され、昭和二八年五月、二級国道として認定され、今日に至つたのであるが、その間、本件事故を除く外、いまだかつて道路の崩壊等はなかつたものである。

即ち、本件事故現場の旧石垣は、空積法によつたものであるが、材料と石積技術の良好によつて堅固そのものであつて、本件道路の設置につき、何等の瑕疵もなかつたものである。

又、本件道路の管理の方法にも瑕疵はないものであつて、この点については被告国のこの点に関する前記主張を援用する。

このように、本件道路の管理にも最善の努力が払われたため、、本件事故発生前の昭和三四年五月三日には大型自動車九輌、小型自動車二輌、同月四日には大型九輌・小型一輌、同月五日には大型二輌・小型一輌、同月九日には大型一〇輌・同月七日には大型一〇輌・本件事故発生の当日である同月八日にも大型一輌が、いずれも無事に本件事故現場を通過しているのである。又、これ等の日時と相前後する日の天候並びに降雨量についてみると、昭和三四年五月一日・晴・小雨・三ミリ、同月二日・三日・晴・ナシ、同月四日・曇・ナシ、同月五日・晴・ナシ、同月六日・晴・小雨・二ミリ、同月七日・晴・雲・ナシ、同月八日・雨・三〇ミリ、同月九日・雨、二〇、五ミリであつたのである。

右によれば、本件事故発生の前々日および前日には、大型トラツクがそれぞれ一〇輌の本件現場を無事に通過しており、当日も雨天ではあつたがその降雨量も僅かに三〇ミリにしかすぎず、その雨の中を大型自動車が先行して無事に通過していること、原告乾道一が本件現場にさしかかつた時は雨もやんでいたこと、本件現場は路面がくぼんでいた部分があつたのに棧敷を附設してあつたこと、原告等は本件現場に来るまでに二回までも停車して一部の乗員を下車させているのに本件現場では何等のためらいもなく進行を続けたこと、等を考えると、被告には本件道路の管理上、何等の瑕疵がなかつたことは明らかである。

(二)  しかしながら、本件道路が崩壊したことは事実であるから、その理由についてこれを按ずるに、右は運転者である原告乾道一の自動車運転上の過失によるものである。即ち、運転者である原告乾道一が本件道路を通行したことは余り認められないこと、同原告は道路交通法規違反の前科が一一犯あり、その内容は定員超過五回・制限速度違反二回・積載量違反一回・その他三回となつていること、本件の運転に際しても定員三名を超過する四名を同乗させ、その積載数量も超過していること、従つて、助手の原告乾清美を自動車のボデイーの上に乗せていたこと、原告乾道一は本件現場に敷設してあつた棧敷の上を通過せず、通過することを禁じられている路肩の上を左後車輪をして通過させたこと。同原告は本件現場にさしかかるやギヤーをサードをとびこえてセコンドに切りかえたため、地面に対する圧力が急激に増加されたこと等の諸事情を勘案すれば、本件道路の崩壊は、原告道一の自動車運転上の過失に起因するものであると断ぜざるをえない。

二、仮りに、本件道路の設置・管理に瑕疵があつたとしても、被告県はつぎの通り過失相殺を主張する。

(一)  原告乾道一に自動車運転上の過失があることは前述のとおりであつて、かつ、その程度も重大であり、他方被告県の蒙つた損害は莫大なものであつたことは十分に考慮されるべきである。

(二)  原告乾清美は、自動車の助手であるにもかかわらず、その職場を離れ、しかも塔乗すべきでない自動車のボデイーの上に乗り込んだことは、重大な過失である。

(三)  本件自動車の定員は三名であるから、運転台には運転手・助手およびその業務の直接関係者が塔乗すべきであるのに、訴外川口正は、本件自動車による木材運搬には直接関係がないのにこれに塔乗したのであつて、この点において同人には重大な過失がある。

(被告等の主張に対する原告等の答弁)

被告等は、原告乾道一が自動車の左後車輪を棧敷の外側を通過させたと主張するが、右の主張は証拠上何等の根拠のない主張であり、原告等に本件事故について過失があるという被告等の主張はすべて争う。

証拠関係〈省略〉

理由

一、原告乾道一が貨物自動車徳二、〇六〇号に木材を積載してこれを運転し、昭和三四年五月八日午後二時頃、高知-木頭-徳島間を結ぶ二級国道を阿南市方向に向けて進行していたところ、那賀郡木頭村北川字蔭一一の一地先の本件事故現場において右自動車が那賀川の川原に転落したこと、右事故によりこれに同乗していた訴外川口正が同月一九日に死亡するに至つたこと、本件道路は二級国道として被告国がこれを管理し、被告徳島県がその管理の費用を負担しているものであることは、いずれも当事者間に争いない。

二、原告等は、本件事故は、突然に道路が崩壊したために生じたものであり、これは右道路の設置・管理の瑕疵に基くものであると主張し、被告等はこの点を抗争するので、先づ本件事故が道路の瑕疵に起因して発生したものであるかどうかについて判断する。

(一)  〈証拠省略〉に弁論の全趣旨を綜合すると、

(1)、事故現場附近の本件道路は、大正一二年四月一日に徳島県告示第一三四号によつて県道としての認定を受けたが、当初は幅員が狭く車輌による通行が不能であつたため、昭和一八・九年頃、徳島県によつて林道として開設され、これが昭和二八年五月一八日政令第九六号によつて二級国道としての指定を受けるに至つたものであること、しかしながら、右道路は国道としての指定を受けた以後においても、ある程度の修補が為された以外はほぼ従前のままの状態におかれていたこと、

(2)、しかるに昭和三〇年頃から、山林事業の開発が盛んになるにともない、本件道路にも原木を積載するために大型貨物自動車がかなり頻繁に通行するようになり、かつ昭和三三年一一月頃から本件事故現場より上流の高知県境寄りの個所において道路開設工事が新たに開始されたので、右工事のためにも絶えず大型貨物自動車が本件事故現場附近を往来していたこと、

(3)、事故現場附近の本件道路は、その前後約一五〇メートル位においておおむね直線の南北に通じる未舗装の砂利敷の道路であり、道路の西側は極めて急勾配の崖であつてその下約二〇メートルは那賀川の川原となり、東側はほぼ垂直に切り立つた岩盤がそそり立つ山となつていること、本件道路は事故現場附近において東側山寄りにわずかにゆるく蛇行しており、かつ南から北に向けてゆるい上り勾配をなしていること、事故現場の路面下はちようど岩盤がくびれている状態にあり、本件においては右のくびれて岩盤のない部分が大きく崩壊したものであること、本件事故現場の当時の道路は山側において凸凹があつて約三・二ないし三・七メートル位の道路巾があつたが、右の崩壊部分は、川寄りにおいて長さ約九・一メートルに及び、奥行きは川寄りから最も深い所で道路のうち約九〇センチを残した部分が崩壊し、右は当時路面上に残されていた二本の轍の跡のうち東側山寄りの轍の跡の部分にまで及んでいること、

(4)、事故現場の本件道路の郡賀川に面した部分には、当時、昭和一七・八年頃に構築された石垣が設置されていたが、右の石垣は石を単に積み重ねただけのいわゆる空石積の工法によるものであつて、石と石との間をセメントで固塗した場合のいわゆる練石積の工法による場合に比して弱い構造をもつていたこと、本件事故現場附近には、道路の西側川寄りの部分に末口約一八センチ、長さ約三-四メートル丸太三本を針金で連結した械敷が道路に並行して路面上に敷設されてあり、右は昭和三一年八月頃、当時道路工手をしていた富田祐一が敷設したものであること、本件事故現場附近の那賀川寄りの路肩は常時いくぶん軟弱な状態にあつたこと、

(5)、本件事故現場を含む木頭村北川附近においては、昭和三四年五月六日に降雨量二ミリ程度の小雨が降つた外、事故当日の五月八日には早朝がら三〇ミリの降雨量があつたこと、

(6)、本件事故現場附近には、重量制限・危険標識等の標識は何等設置されていなかつたこと、

(7)、原告乾道一は、本件事故当日、訴外山田製材有限会社が訴外三陽産業株式会社から購入したモミ・ツガ等の原木を、三陽産業の高野瀬木材集積所で本件自動車に積載したが、当日は雨が降つていた関係で常よりも少なめの原木二〇本位・約千四百才位を積載し、原告道一が運転台右側の運転席に着いてこれを運転し、続いて訴外曾根将美が中央に、訴外川口正が左端にそれぞれ同乗し、原告乾清美は運転台の屋根上に坐して、午後一時三〇分頃右木材集積所を出発したこと、途中道路が危険と思われる個所で二度停車し、一旦同乗者を下車させてここを通過し、さらに燃料用の石油缶を積み込むために一度停車し、これを積み込んで原告清美がこれを屋根上でかかえるようにしてささえていたこと、原告道一は、時速約二五キロ位の速度で進行して本件事故現場附近にさしかかつたが、右附近はゆるい上り勾配になつていたので、事故現場の手前で四段(トツプ)で走行していたのを三段(サード)のギアに切りかえて本件事故現場にさしかかり、道路上に敷設してあつた桟敷附近を前輪が通過したと思つた瞬間、左後車輪から後ろに落ち込むように自動車が左うしろに傾いたので、原告道一は突嗟にギアを二段(セコンド)に切りかえてこれを脱しようとしたが間に合わず、道路の崩壊とともに自動車は一回転して那賀川の川原に転落するに至つたものであること、

をそれぞれ認めることができ、右認定に反する乙第一号証および証人藤峰宜昭(第一・二・三回)・同岡山正鉦・原告乾道一の各供述部分は措信できず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

(二)、右認定の事実によると、本件道路の崩壊部分は長さ約九・一メートル、巾は道路の幅員のかなりの部分に亘つており、当時路面上に印されていた二本の轍の跡のうち山寄りにある轍の跡の部分にまで達しているのであつて、かかる大規模に道路が崩壊するということは、他に特段の事情のないかぎり、本件道路に瑕疵が存したものではないかと推認せざるを得ない。

この点について被告等は、本件事故は原告道一の運転上の過失に起因するものであつて、本件道路の崩壊は右に伴つて生じたものであると主張するので、この点について判断するに、被告等は、原告道一が通過すべきでない路肩上ないしは路肩の外に車輪をはみ出すに至つたために自動車が転落し、その重量と衝撃によつて本件道路が崩壊するに至つたものであると主張するところ、道路構造令第二条第五号・車輌制限令第二条第五号によると、「道路の主要構造部を保護し、又は車道の効用を保つために、車道又は歩道に接続して路端寄りに設けられる帯状の道路の部分」を路肩とし、又車輌制限令によると、道路の構造を保全し、又は交通の危険を防止するための一般的な基準(同令第一条)として「歩道を有しない道路を通行する自動車は、その車輪が路肩(路肩が明らかでない道路にあつては、路端から車道寄りの〇・五メートルの幅の道路の部分)にはみ出してはならない」(同令第一〇条)と規定されているけれども、本件において被告等の主張するように原告道一がその運転する本件自動車の車輪を川寄りの道路々肩上を通過させたとか、或は川寄りの道路をふみはずして運転したことを認めるに足るだけの証拠はないから、同原告が川寄りの路肩上ないしは道路をふみはずして通行したために転落し本件個所が崩壊したものと認めることはできない。

もつとも、いずれも〈証拠省略〉によると、原告道一は本件事故以前に無資格運転により一回・制限速度違反により三回・定員外乗車違反により四回・駐車禁止違反により二回・一時停止違反により一回それぞれ処罰を受けていることが認められるけれども、このことから直ちに同原告の運転技術に未熟な点があつたとか或は本件事故が同原告の運転上の過失に因り発生したものと認めることはできないし、又本件自動車には定員三名を超過する四名が乗車していたことは前記認定のとおりであるが、右四名の内、運転台に乗車していたのは原告道一を合めて三名であり、他の一人は運転台上の屋根に乗車していたのであることも前認定のとおりであるから、このことからも本件事故の発生につき同原告に運転上の過失があるということもできず、又制限重量を超過して原木を積載してたと認めるに足る証拠もない。さらに又、被告等が主張する如く、同原告においてギアをセコンドに切りかえたことも(この点については前記認定の通りである。)、このことは自動車運転上の当然に予期された範囲の操作であつで、他に本件事故の発生につき同原告に過失があつたと認めるに足るだけの証拠はなく、かつ本件道路の崩壊が同原告の運転上の過失に起因する転落に伴つて生じたものと認められるような特段の事情を認めるべき証拠もない。

(三)、そして前記認定の事実を綜合すると、本件道路は、昭和一八・九年頃林道として現状の如く開設されたものであるが、昭和二八年五月一八日に二級国道としての指定を受けて以後においても、ある程度の修補が為された以外は特に改良工事等も行われず、本件事故現場附近においても石垣は当時のままの空石積によるものであり、ただ昭和三一年三月頃に丸太三本を針金で連結した桟敷を路面上に敷設して修補した程度であること、然るに昭和三〇年頃からは、山林事業の開発が進むにつれて原木を積載した大型貨物自動車の往来が多くなり、昭和三三年一一月頃からは、加えて高知県境寄りで新たに道路開設工事が開始されるに及んでその通行が頻繁となり、ために本件事故現場附近の道路の荷重負担がかなり増加するに至り、事故現場附近の本件道路および石垣は重量車輌の通過にとつては必ずしも万全なものはならなくなつていたこと、加えて本件事故発生の当日は、前々日の降雨と合せてかなりの降雨量があり、そのために路面は水分を含んでさらに軟弱となり、本件事故現場の路面下には岩盤がないことも合せて、原木を積載した本件自動車の通過によつてその荷重に耐えることができなくなり、ついにこれが崩壊するに至つたものと推認されるから、結局本件事故は事故現場個所の道路が軟弱であつて本件自動車の通行に堪え得ない状態になつていたという瑕疵に起因して発生したものといわざるを得ない。

三、そこで本件道路に存した右の瑕疵が被告等の本件道路に対する設置、管理上の瑕疵といいうるか否かについて考察するに、

(一)、以上認定の事実および弁論の全趣旨によれば、本件事故現場附近の本件道路および前記石垣は、設置された昭和一八・九年頃には林道としての機能を十分に果していたものと推認され、設置当時において設計上ないし構造上等の点に瑕疵が存したと認めることはできないから、本件道路の設置に瑕疵があつたということはできない。

(二)、しかしながら、設置当時には道路として十分な機能を果していた本件道賂も、その後の車輌の大型化・通行車輌の増加・これに伴う荷重負担の増加等本件道路の交通事情に変化が生じたため、本件事故個所の道路構造部分である路面下の石垣も空積法により構築された設置当時のままの状態ではこれに耐えるには必ずしも十分ではないという状態となり、右のような交通事情に応ずる道路としてはその安全性が必ずしも十分でないようになつたのに、被告等は本件道路の事故個所について昭和三一年に桟敷三本を道路上に敷設しただけでその後十分な改良工事も施さず、かつ重量制限をする等の危険防止の措置も講じなかつたものであるから、本件道路の管理に瑕疵があり、そのため本件事故が発生したものといわざるを得ない。

この点に関して被告国は、道路自体の瑕疵と道路の管理の瑕疵とは区別されるべきであると主張するが、なるほど道路自体に瑕疵があるからといつてそのこと自体をもつて直ちに道路の管理に瑕疵があるとはいえないであろうけれども、道路に瑕疵がある場合は道路の管理者において、かかる瑕疵を除去するよう改善するかもしくは他の危険防止の措置を講ずべきものであるのに、これを看過しそのような改善若しくは危険防止の措置を講ずることが不可能でないのにこれを為さずに放置するときは、管理者に過失があると否とを問わず、道路の管理に瑕疵があるというべきであるから、この点に関する被告国の主張は理由がない。

又被告国は、仮りに本件道路の管理に瑕疵が存したとしても、右の瑕疵は路面に桟敷を敷設したことによつて治癒されたと主張し、右桟敷が敷設されたことは前認定のとおりであるが、これによつて本件道路が安全にその機能を発揮しうる状態に保たれたということもできず、右主張が理由のないことも前判示のとおりである。

四、よつて、原告等の被つた損害の点について判断する。〈省略〉

五、つぎに被告等の過失相殺の主張について判断するに、

(一)、原告乾道一に自動車運転上の過失があると認めるに足るだけの証拠がないことは前判示のとおりであるから、右主張は理由がない。

(二)、つぎに、被告県は、原告清美が自動車の運転台の屋根上に乗つていたことが同人の過失であると主張するところ、同原告が自動車の運転台の屋根上に乗車していたことが本件事故発生の原因とは直接の関係がないことは前に認定判断したところから明らかであり、又前記認定の如く運転台の中に乗車していた訴外川口正が死亡したこと等に鑑みれば、運転台の上に乗車させていたために本件事故により同原告の損害が拡大されたと認めることもできないから、右の主張も採用することはできない。

(三)、さらに被告県は、本件自動車による業務に直接関係のない訴外川口正が右自動車に乗車していたことが同人の過失であると主張するが、右のことが本件事故の発生ないしは同人の損害の拡大等に影響を及ぼしたことはとうてい考えられないから、右の主張も採用できない。

そして他に、原告等に本件事故の発生・損害の拡大等に関して過失があつたと認めるに足る証拠はないから、被告等の過失相殺の主張は理由がない。

六、そうすると、被告国は道路の管理者として、被告県は費用の負担者として共に、

原告乾道一に対して、消極的損害金二、二四五、〇三五円および慰籍料二〇万円の合計金二、四四五、〇三五円、

原告乾清美に対して、消極的損害金六三〇、四七六円、慰籍料三〇万円および積極的損害金五六、八〇〇円の合計金九八七、二七六円、

原告乾ヒサヲに対して金三一四、五〇〇円

および右各金員に対する同原告等の訴状が被告等に送達された日の翌日以降であること記録上明らかな昭和三四年一〇月一日から支払済に至るまで民法所定の年五分の各割合による。

遅延損害金、

原告川口士朗に対して、消極的損害金二、四一五、三七九円および慰籍料五万円の合計金二、四六五、三七九円、

原告川口政子に対して、消極的損害金一、二〇七、六九〇円および慰籍料二〇万円の合計金一、四〇七、六九〇円、

および右各金員に対する同原告等の訴状が被告等に送達された日の翌日であること記録上明らかな昭和三五年五月一七日から支払済に至るまで民法所定の年五分の各割合による遅延損害金をそれぞれ支払う義務があるというべきである。

よつて原告等の本訴請求は右認定の限度において相当としてこれを認容し、その余はこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九三条・第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用し(仮執行の宣言を付することに関して被告国は、国に対する給付判決に仮執行の宣言を付すことは適当でないと主張するが、判決確定前おいてもこれを執行することを必要とする事情がある場合には、国に対する給付判決であつても仮執行の宣言を付するのが相当であつて、被告が国であるからと云つて同法条の適用が排除されるいわれはない。)、かつ被告国の仮執行免脱の宣言の申立はこれを却下することにして、主文のとおり判決する。

(裁判官 伊藤和男 原田三郎 武内大佳)

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